「鬼滅の刃」から考える死生観

日記

鬼滅の刃の映画が今日から公開です。

地元宇都宮の映画館では半分のスクリーンで朝からびっちりとスケジュールされています。

相当な人がくるんでしょうね…

私も子供の影響でアニメは2回は見たし、単行本も全巻揃ってます。

そもそも、「鬼滅の刃」ってどこがそんなに魅力なんでしょうか?

家族愛、兄妹愛

よく言われるのはここですね。

主人公の竈門灰治郎が鬼にされた妹、禰豆子(ねずこ)を人間に戻そうと
鬼と戦いながら奮闘するストーリー。

妹を想う兄と、兄のピンチでは鬼の力を発揮して兄を助ける妹。

そして、鬼になった人たちも元は人間。

家族や愛する人を失った失意から鬼になってしまうなど、
そこには人間らしさがあって鬼にさえも共感してしまう。

ただの勧善懲悪のストーリーではないのです。

死生観

個人的に一番考えさせられるところです。

この漫画では、人間が簡単に死にます。バッタバッタと鬼に殺されます。

死と隣り合わせの世界です。

しかし、対照的に鬼はなかなか死にません。首を切らないと死にません。
首さえ切られなければ鬼は何百年も生きることができます。
生に執着して鬼になる者もいます。

そんな鬼に、普通の人間では勝てない。
じゃあ人間はどうやって対抗するのか。

鬼を倒す鬼殺隊のリーダーが言った言葉がそれを表現しています。

永遠というのは人の想いだ
人の想いこそが永遠であり 不滅なんだよ

つまり、想いを繋げること。

何百年もかけて鬼と戦ってきた中から培った知識や力を後世に残しながら
少しずつ鬼に対抗する力をつけていく。

その集大成が、この灰治郎が鬼と戦っている時代で、
徐々に鬼の親玉を追い詰めていきます。

 

人は必ず死ぬんですよね。

鬼のように何百年も生き続ける人はいません。

時々、人間はこの一番大事なところを忘れている気がします。
正確には、分かっているけど目を逸らしているのかな。

死にたくない、死にたくない、とどれだけ願っても、
残念ながらその時はいずれ訪れます。

どう生きたとしても、
「思い残すことがない」「やり切った」人生なんて目指せるのだろうか。

じゃあ、なにをすることに全力をかけて生きるのか。

まだ答えはでないけれど、最後のときに

「おれはここまで頑張った。あと、よろしく!」

と言えるのがひとつの答えな気がします。

なんだかいつもと違うテイストの投稿でしたが、
とりあえず映画を見に行こう笑

 

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